こんばんは、お久しぶりです!旦那です🤠今回は
(幼少期のトラウマ)過去の自分と訣別できないわけ
というお話をします。
記事あらすじ
最近、アドラー心理学で有名な岸見一郎さんの著書「人生は苦である、だが死んではいけない」を読みました。
その著書を読んでいて、「子供が成長するにつれ、親は子供の成功(学力ないし運動・芸術能力の向上)を期待する。」とありました。
そしてこの成功について「子供がただ存在してくれるだけで良かったものが、成長するにつれ『我が子が社会に適合した人間になれるかどうか』の価値観に染まってしまい、ありのままの子供の存在を受け入れなくなってしまう」と危惧されていました。
そんな文面を読んで、僕の幼少期の育てられ方をふと思い出しました。
特に思い出したのが、母親との記憶です。
今回は僕が親に対する感情を吐き出し、最後には「自分の子どもには、こんな子育てをしたい」というねがいを込めた記事になっております。
自分は親に、ただ「ありのままの自分」を認められたかった
自分の母親は、教育熱心ではないものの、子供の能力には高望みするようでした。
特にやかましく「勉強しなさい」と言うタイプではないものの、「お金はかけたくないが、子供には勉強できて欲しい」と望んでいるようでした。
自分自身が優秀ではないし、大した能力を持っていたわけではないから『褒められなくて当然😤』と言えばその通りですが、幼少期に親から褒められたり感謝されたりした記憶はそこまでなく、「あなたの根暗な部分はどうにかならないの?」と問われる印象でした😥
そこまで酷くは無いものの、今でいう「毒親」だと思います。分かりやすく酷くはないものの、当時の時代の価値観などもあって当然のような雰囲気もあったと思いますが、僕の心は徐々に暗い方向へ蝕まれていっていました。
ただ僕は、僕自身が大した能力が無くても、「ありのままの自分を認めてもらいたかったな」、と思います😢
親の期待が見え隠れして。。。
僕は3兄弟の真ん中で、兄と弟は活発で友達も多く運動もできていました。その兄弟と比べて陰気だった僕は、親からすると「出来損ない」のような目で見られていました。
そんな僕を母親は、何か不安材料のような存在だったのでしょう。
母親の、「私を安心させてほしい」「子供が優秀なのは、私のおかげであってほしい」という思惑が見え隠れしていたのが気に入らなかったです😡
自分が「今の仕事を辞めたい」と言った時、母親は僕の辞めたい理由などを聞かず「そんなん、あかんで😠」と、ただ一方的に否定するのみでした。
社会人になってからの話ですが、子供心に「なぜ頭ごなしに否定されなければならないのか」と憤慨した出来事でした😡
まとめ(僕が親だったら)
僕は2人の女の子の父親をさせてもらっています。僕の元に生まれてきてくれた2人の子供、そして産んでくれた妻には感謝しかありません。
そんな2人を、僕は存在ごと認め、感謝しています。
僕なりの子育て方法としては、
1.毎日「大好きだよ」と伝える
2.子供の好き・得意、やりたいことを一緒に探す
3.最終決定は本人に委ねる
この3つを大事にしながら子育てしたいと思います。
これが僕なりの「親としてやってあげたい子育て」です。
以上で今回のお話を終わりたいと思います。
次回作にも、ご期待ください。ご覧いただき、ありがとうございました(^^)